李王家邸(赤坂プリンス クラシックハウス) (170 画像)
江戸時代には御三家のうち、紀伊家、尾張家の二家がここに邸宅を構え、幕末の大老・井伊直弼を出した彦根藩井伊家の屋敷もここにあった。そこから、紀尾井坂なる地名が生まれ、明治時代に一帯が紀尾井町となる。やがて時は下って1930(昭和5)年、この地に一際目を惹く瀟洒な西洋館が姿を現わした。明治末期の日韓併合により日本の皇族体系に組み込まれた韓国李王家の東京邸である。昌徳宮となった李垠とその夫人・方子(後の昭和天皇・裕仁親王の后候補で、梨本宮守正王の長女)がここに住んだ。
2万坪という広大な敷地に立つ建物は、建築面積約1650平方メートル。木造2階建(地下1階)。宮内省内匠寮の工務課長として活躍した北村耕造と、技師の権藤要吉らにより設計された。併合という歴史の暗部を覆い隠すかのように贅を尽くした造りである。ただし、外観は派手さが抑制され、車寄せのアーチに顕著なチューダー様式を基調に、ゴシックなど各種のデザイン要素をまとめた落ち着きのある佇まいとなっている。東側と南側は、濃褐色の木部を露出させたハーフティンバースタイルの外壁。飾りけのない壁面と、逆に凝ったディティールを秘めた開口部が、塔屋を備えるなど組織な構成を取る屋根の意匠と相まって、ヨーロッパ中世の城館的イメージを際立たせている。
日本の敗戦後には李垠も臣籍降下したことから、建物の大部分は参議院議長公邸などとして使用された後、1952(昭和27)年に国土計画興業(後のコクド、及びプリンスホテル)がこれを取得、客室35室が整備され、1955(昭和30)年に赤坂プリンスホテルとして開業した。そのため、住居として使用された頃と比べ内部は多少改変されて現在に至っている。しかし、玄関ホール内部を飾る重厚な捻り柱の群や、白亜の壁で仕上げら れたかつての応接スペースに見られるイオニア式柱頭をもつ角柱など、数奇な運命を辿った皇族の邸宅であった時代の名残がそこかしこに残る。強烈なインパクトで迫る重々しい木製階段の脇には、明るく開放感のある色彩の大きなステンドグラス。その鮮やかな対比、ここに暮らした人の心の軌跡さえ感じ取れる気がする。
超高層ビルの新館とは対照的ながら、レストランやバーが入り、宴会場として現役で使用されている。昔も今も華やかな社交の場だが、その周囲を取り巻く景観も、歴史を踏まえて新たに結ばれた日韓の関係も、今は大きく様変わりした。昭和初期を代表する邸宅建築の名品としての価値はもちろん、痛みを伴う過去と建設的な未来をつなぐ懸け橋としての歴史的意味合いも大きい。
2011年に東京都指定有形文化財となり、敷地内で曳家され、建設当時の詳細な資料などを基に照明器具や外壁などの主要部分を当時の状態に復原し、2016年にレストラン、結婚式場、宴会場を備えた「赤坂プリンス クラシックハウス」としてリニューアルオープンした。

・東京都千代田区紀尾井町1-2
公式ホームページ

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