高見順生家 (6 画像)
●われは草なり
われは草なり 伸びんとす
伸びられるとき 伸びんとす
伸びられぬ日は 伸びぬなり
伸びられる日は 伸びるなり

われは草なり 緑なり
全身すべて 緑なり
毎年かはらず 緑なり
緑のおのれに あきぬなり

われは草なり 緑なり
緑の深きを 願ふなり
ああ 生きる日の 美しき
ああ 生きる日の 楽しさよ
われは草なり 生きんとす
草のいのちを 生きんとす

川端康成からその作品を「日本における最初の現代文学」と評された、昭和を代表する作家高見順は1907(明治40)年この家で生まれた。父は当時の県知事阪本釤之助、母は高問古代(こよ)。2歳の時に上京し、東京大学を卒業、作家活動に入る。「故旧忘れ得べき」で芥川賞候補に挙げられ、以後人気作家として活躍。昭和という時代と人間を描くことに心と命を傾けて、「最後の文士」と呼ばれる作家の生涯を全うし我が国の近代文学史上偉大な業績を残した。この詩は、昭和20年4月、戦争末期の絶望と危機の中で日記に書かれた一篇である。生への希求と新しい文学への熱い思いが伝わってくる。
1965(昭和40)年食道ガンのため没する。日本海を望む海岸崖上にふるさと三国に想いを寄せた「荒磯」の詩を刻んだ文学碑が建つ。


・福井県坂井市三国町北本町3-3-48

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