二宮尊徳生家 (40 画像)
二宮尊徳は、1787(天明7)年7月23日この家で誕生した。
この家の最初の建築年月は明確でないが、おそらく尊徳の祖父銀右衛門が、兄の万兵衛から分家してその南隣に建てたもので、それは1742(寛保2)年か、それより数年前と推定される。
尊徳の父利右衛門が銀右衛門から家督を譲られた頃の二宮家は、2町3反6畝余の田畑を所有する中流農家で、この家は江戸時代の中流農民の住宅の典型的なものと言うことができる。
尊徳が書いた「田地請戻之事」によると、父母をなくして一家離散の悲境に陥った際に、居宅、家財、諸道具、衣類まで売り払って金にかえたとあるので、その時この家は人手に渡ったものと思われる。金次郎はおじの家(この生家の隣)に、弟2人は母の実家に預けられた。
昭和34年、尊徳没後百年祭に当たり、尊徳記念館建設第二期事業として、当時この家を所有していた渡辺家から譲渡を受け、昭和35年9月20日、横浜国立大学教授工学博士大岡実の指導によって、この誕生地に元の姿で復元した。
昭和38年、神奈川県重要文化財に指定されている。

●二宮尊徳(金次郎)
尊徳は薪を背負って本を読む姿の像で有名だが、彼の業績はあまり知られていない。尊徳は、生涯をかけて体験の中から創り出した「村を復興し、豊かにする独自の手法」(報徳仕法)を指導し、実践した。彼はその指導・実践によって人々の生活を立直し、大名・旗本などの領域の復興を数多く成功させた。彼は皆がゆたかで幸せに暮らせる社会をつくるために多くの困難とたたかい続け、幕府領地(日光神領)の復興指導中に69歳で亡くなった。

・神奈川県小田原市栢山2064
公式ホームページ

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