旧忠田邸(クラブハリエ日牟禮カフェ特別室)  (117 画像)
アメリカ人実業家のウイリアム・メレル・ヴォーリズが、1937(昭和12)年に大阪朝日新聞社で重役を務めた忠田兵蔵の邸宅として建てた邸宅を、地元のたねやグループが2003(平成15)年に補修改築し、日牟禮カフェの特別室として営業している。
たねやは、元は江戸時代に材木商を生業とした家系で、のち近江国蒲生郡八幡池田町で、穀物類・根菜類の種子を商う「種屋」を創業した。1872(明治5)年、7代目山本久吉が京都の和菓子店「亀末」で修行を積み、栗饅頭と最中を製造販売する和菓子店に商売替えし、屋号を「種家末廣」とした(のち「種家」に改称)。1921(大正10)年、東京「塩瀬総本家」で修行を積み宮内省大膳寮に2年奉職していた8代目山本脩次が種家2代目を継承。物資不足の太平洋戦争直後には栗饅頭が人気を博し、たねやの基本づくりとなった。 明治末期から昭和初期にかけて、種家の近所にはヴォーリズが住んでおり、ヴォーリズの勧めで脩次は1951(昭和26)年10月に洋菓子の製造を開始し、これがのちのクラブハリエの基となった。
1958(昭和33)年8月に種家は有限会社「たねや菓舗」に改組し、脩次が代表取締役社長に就任した。脩次は1966(昭和41)年9月に死去し、長男の傳一が有限会社たねやの社長に就任。その後、1967(昭和42)年2月の近江八幡駅前への出店を皮切りに、1972(昭和47)年8月に株式会社「たねや」を設立、次男の徳次が社長に就任した。1976(昭和51)年6月に大津西武に百貨店初進出、1984(昭和59)年には東京営業所(現・東京支店)を開設して日本橋三越本店と銀座三越に県外初進出を果たすなど、滋賀県を代表する菓子メーカーに成長した。

・滋賀県近江八幡市宮内町日牟禮ヴィレッジ
公式ホームページ

クリックして画像を拡大





トップページへ inserted by FC2 system