山梔窩(真木和泉旧居) (12 画像)
真木和泉守保臣は同志と共に久留米藩を改革しようとして、却って水田村(現在の筑後市水田区)の弟・大鳥居信臣のもとに護慎を命ぜられた。
その翌年庭の一隅に小さな家を建て山梔窩(くちなしのや)と名づけ自炊の生活を送り、附近の子弟を教育し、後には久留米から参加する者もおり多くの人材を養成した。これからの門下生には、後には幕末の動乱に活躍し国難に倒れたものが少なくない。また平野国臣を始め諸国の同志の来訪もあり、これらと連絡して策を練り、朝廷に上書するなどこの山梔窩は尊皇倒幕の一大策源地となった。幽居11年時勢の急迫と共に
やがて世の 春に匂はん 梅の花 かた山里の 一重なりとも
一首の和歌を書き残して脱出し、明治維新を目指してその中心的指導者として活躍した。この建物は史料により当時のものをこの地に模して建てたもので、実際の建物は県指定文化財として水田に現存している。

●水天宮

・福岡県久留米市瀬下町265-1
公式ホームページ

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