マリーノ宮 (2 画像)
この宮殿は、ジェノヴァの銀行家で商人の伯爵トンマーゾ・マリーノが家族の居住とするため、建築家ガレアッツォ・アレッシへと1557年~1563年の間に発注。伯爵の死に際し、一族は深刻な経済打撃をむかえたため、1577年、行政機関により、宮殿が差し押さえられた。
続く数年後、政府は銀行家オモデイの相続人に邸宅を売却したが、彼らは部分的に修復したものの住むことはなかった。そのため邸宅自体は「デイ・マリーノ(マリーノ一族の)」と呼ばれ続ける。
1781年、政府は再度、建物を購入し、ピエールマリーニ指揮の下、様々な箇所の修復を許可。そしてイタリア統一(1861年)が行われた日の翌日、建物は中央市庁舎となった。スカラ座広場に面しているこの建物の現在のこの姿は、建築家ルカ・ベルトラーミにより1892年に行われた修復と、そして1943年の戦火での爆撃による特に「アレッシの間」への被害を受け、第2次世界大戦後に行われた修復が功を奏した結果である。

・Piazza della Scala, 2, 20121 Milano MI

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