旧相馬邸 (10 画像)
函館の基坂、幕末の開港当時はこの周辺に役所や銀行などが集まっていたことから「役所の坂」とも呼ばれ、函館の中心といえる場所であった。坂の名は坂下に里程元標があったことが由来とされる。
坂の上の元町公園の旧函館区公会堂、北海道庁函館支庁舎、少し下って旧イギリス領事館などが並び立つ中で、民間人の住宅としては一際目立つ豪壮な邸宅が元町公園のすぐ隣に建つ旧相馬邸。黒の板塀に重厚な和風の外観が印象的な建物は、1907(明治40)年の大火後に相馬哲平(1833~1921)の邸宅として建てられた。哲平は幕末に新潟から函館へ渡り、商売に成功、函館一の豪商として知られ、数々の公共建築に多額の寄付を行うなど篤志家としても有名。
哲平の寄付で建設された旧公会堂が坂上に、坂下の電車通りの角、相馬邸からも一望できる場所には(株)相馬の事務所があり、基坂はさながら相馬の坂ともいえそう。なお相馬邸が竣工した時期には、当時相馬と並ぶ豪商、渡辺熊四郎(金森商船・合名会社)などの寄付により建てられた区立函館病院、さらに日本銀行や税関など国の主要施設も一望できた。
驚くべきことは相馬邸の真下に旧イギリス領事館が建っていることだ。国内では横浜・下関・長崎に旧イギリス領事館の建物が現存しているが、地元の民間人住宅に見下ろされた場所に建っているのは、ここ函館だけ。
七つの海を制覇していた大英帝国の函館駐在領事が相馬邸を見上げてどう思ったのか興味深いものがある。
相馬邸の地所は、傾斜のある地形を利用して高い石垣を築き、その上に広い敷地を造成している。通りに面しては長く塀を巡らして内部に庭を築き、明治末建築の木造平屋建て和風の住宅を中心として、洋風の応接間、蔵などを配置した大邸宅である。建物も豪華そのもので、和風をベースにした本館のほかに、正面右側には窓額縁などに細かな細工をした洋館(内部は応接間)が併設されている。正面にはむくり屋根の大きな玄関。左側には大きな土蔵が建つ。
明治40年の大火から、数年近い年月をかけて建てられたという相馬邸。しかし哲平は竣工から13年、1921(大正10)年6月病のため88年の生涯を閉じた。同じ年には市街地で大火が発生し、その復旧にあたって、従来の煉瓦や土蔵に代わり鉄筋コンクリートによる耐火建築物が多く建てられるようになり、函館の街並みが一新された時期でもあった。

●相馬株式会社

・北海道函館市元町33-2
公式ホームページ

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