旧ヴォーリズ住宅 (32 画像)
この建物は、近江兄弟社を創設し、県内を始め関西地方を中心に、教会や学校、病院、住宅、商業建築など1000棟を超える建物を設計したウィリアム・メレル・ヴォーリズの後半生の自邸である。
この住宅は昭和6年に幼稚園の教員寄宿舎として建築されたが、建築途中に自宅に変更され、引き続いて和室部が増築されている。
外観は質素であるが下見板張り、両開きの窓、暖炉の煙突などに洋風を感じさせる。
内部は独立した洋室の間取りや数多くの設けられた収納空間、さらに夫人のために日本の生活様式に合わせて和室を採り入れるなど生活面での配慮と機能性を重視したヴォーリズの設計態度がよく表れている。

●ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
ヴォーリズがキリスト教伝道の熱き志をもって近江八幡に足を踏み入れたのは、今からおよそ100年前の1905年2月2日のことであった。滋賀県立商業学校(現八幡商業高等学校)の英語教師として英語を教える傍ら放課後バイブルクラスを開設し、多くの学生をキリストに導き、学生たちの人生に大きな影響を与えた。
このことが原因して、彼は教育現場から追われたのである。しかし、「挫折と意気消沈の只中」から不退転の決意をもって立ち上がり、建築設計事業を始め、自給自足の精神をモットーに情熱的に社会事業を展開。琵琶湖湖畔にYMCA活動やキリスト教伝道・教会建設をしながら、近江サナトリウム(結核療養院・現ヴォーリズ記念病院)を開設。学校教育(現ヴォーリズ学園)事業を夫人一柳満起子と共に起こし、キリスト教伝道・医療・福祉・教育事業を展開して地域社会を始め、日本国内に歴史的な足跡を遺した帰化日本人である。
彼はこれらの社会事業を財団法人近江兄弟社の事業として位置づけ、その事業展開のための資金調達を建築設計(現一粒社ヴォーリズ建築事務所)や家庭常備薬メンソレータム(現メンターム)の製造販売(現(株)近江兄弟社)によって成し遂げた。
ヴォーリズは生涯私有財産を持たず、すべてを社会事業のために捧げ、自ら住んでいた住居(現ヴォーリズ記念館)さえも私物化しなかった。ヴォーリズが建築設計家として日本をはじめアジア等に遺した建造物は1600を数え、今も多くが現存している。彼が社会のために立ち上げた事業は、近江兄弟社の事業として、その精神と共に継承され、現在6法人・15事業体に発展している。
若干24歳で米国から近江八幡に来て、そこに留まったヴォーリズ(一柳米来留)の信仰と自給自足による社会事業の足跡をヴォーリズ記念館は全国に情報発信している。

・滋賀県近江八幡市慈恩寺町元11
公式ホームページ

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